悠々自適な日々

古き良き、縛られない暮らし方。

宗教とか信仰とか、生きる目的。

スピリチャルは苦手、人は努力して幸せをつかみ取ってなんぼという人はエンタメだと思ってお読み下さい。

 

 

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ヨガや氣功、いろんな宗教の坐禅や瞑想、祈りの行為などを知る度に思うことがあります。

それぞれの考え方や解釈や方法があれど、やっていることは同じということ。

宗教が悪という考え方もありますが、金儲けや煽動する宗教や人間に問題があるだけです。

それに、宗教がなかったとしても宇宙意識というようなものは存在します。

お墓が先祖との窓口になるように、宗教が宇宙意識との窓口のひとつになるのかもしれません。

 

お墓はただの窓口で先祖がそこにいるわけではありません。

そして、宗教=信仰ではありません。

無数の素粒子が集まり、それぞれが別の働きをして身体が存在し、

魂や意識が存在していることが頭で理解できるでしょうか。

私にはできません。

自分やこの世界が存在し、それらを信じて大切にすることが信仰なのです。

 

社会が洗脳したから

現実的でない、科学で証明できないから信じないという人もいるでしょう。

でも、人間の思想や科学の中に”現象”があるではなく、

宇宙の誕生や今の地球のバランスなどの”現象”の中に人間がいて、

それらを理解しようと憶測をたてているのが思想や科学です。

あとで、新たな解釈が出てくればすぐに見解を変えたり、認めずに隠したり。

昔はどうしてもわからない現象を妖怪として解釈しました。

栄養学もそうです。

最近になって「ファイトケミカル」が発見されました。

そもそも、火も使えなかった人類に栄養学なんて関係ない。

自然界の動物たちにもそんなものは関係ありません。

栄養の問題ではなく、潜在意識と毒物の問題です。

一切わかっていない世界のことを否定することができるでしょうか?

それは、差別と同じです。

太古より続く天皇というシステムは神の力を用いています。

”現人神”ですね。

そんな皇族すらも否定できますでしょうか?

 

非現実を現実に

占いは統計学、風水は環境学、チャクラといわれる場所には器官が存在します。

古代エジプト文字でよく見る「ホルスの目」は脳の断面図に同じ形を見ることができます。

その中心に松果体という器官があり、第三の眼と呼ばれています。

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科学を用いて説明できることも多いですし、科学のない時代でも解釈されていたことがたくさんあります。

学校で行われる教育と宗教や洗脳の差異はなんでしょうか。

 

正解はないけれど

現段階では、瞑想などの目的は右脳を開くことだと解釈しています。

超右脳革命―人生が思いどおりになる成功法則

超右脳革命―人生が思いどおりになる成功法則

 

この本を読んでいる途中です。

右脳の特定の器官を活性化させることで非科学的な世界にいけるのです。

松果体もそのひとつで、歯磨き粉や調理器具に多いフッ素でその機能を失ってしまいます。

民衆に超能力が宿ってはお金儲けができないので困るのです。

家畜はコントロールしやすい状態にして、生かさず殺さず。

自分たちに都合のいい情報だけ与え、少しばかりの甘い蜜を吸わせ、

ずっと先の本当にもらえるかわからない権利のために義務を背負わせる。

 

この社会のシステムを作り上げた人たちは本当にすごい。

芸能人や政治家の不祥事などを組み立てて民衆のガス抜きをしたり。

システムから中途半端に抜けようとするより、搾取されているほうが楽で幸せなのかもしれない。

 

なので、私は全部使いません。

添加物や化学製品は可能な限り使用しません。

幸せの基準や価値観は自分でつくります。

誰にとっても親やご先祖からの形見があります。

それは、身体です。

フラストレーションが貯まるばかりで、身体と健康という資産と財産を切り崩す。

こんな親不孝なことがありますでしょうか。

 

幸せのために

なにも食べなければそれが一番ですが。

最近、少し食べ気味でしんどい。

久々に玄米を炊いて、御御御付けと一緒に食す。

これで十分。

他にはなにもいらない。

一汁一食、白湯。

あとは、太陽と自分の身体。

身体がつくり出す成分。

 

まだ、仕事と食事に溺れていたころ。

いろいろな事情が重なり、お婆ちゃんの死に目どころか葬式があったことをあとから知った。

感情のやり場もなければ後悔のしようもなかった。

スピリチュアルプレゼント―ぜったい幸せになる“生き方”の秘密

スピリチュアルプレゼント―ぜったい幸せになる“生き方”の秘密

 

でも、死が必ずしも不幸で嘆くものではないことを知りました。

そして、亡くなったおばあちゃんやご先祖、すべての人や生き物、自然や宇宙、素粒子のために。

 

私は自らの人生を生きることを決意したのです。

それが、非常識だとしても。

人でないと言われても、気持ち悪がられても。

別に、争わなくたって生きられるのだからそれでいい。

物事を否定したがる人も、認めない人も、柔軟な人も、人それぞれ。

私は私。

でも、辛くて悲しくて死ぬぐらいなら話してほしい。

きっと、新しい生き方を見つけられるからと思うのです。

カメラと私

小さなころから写真を撮るのが好きでした。

小学生のときにデジカメを買ってもらったり、

中学生ではカメラ機能が優れた携帯電話を撰んだり。

 

撮影対象

なにを撮るかというと、人や生き物。

そして、撮りたくなったもの。

街中でも旅先でも、ふと「あ、これを撮りたい」ってときがあります。

おそらく、普通の人は気にもとめない光景。

なんなら対象物もない光景。

何気ない一瞬に強く惹かれます。

 

デジタル一眼レフカメラ

社会人になってデジタル一眼レフカメラを購入。

写真のクオリティが高くて楽しかったです。

でも、大きくて重い、複雑で繊細、いまひとつ使いこなせない、

技術だけじゃなく機材もたくさん揃える必要がある、カメラに振り回される。

もっと、もーっと綺麗に撮影する人はたくさんいます。

それに、どうやらこの手の趣味の人たちはどちらかというとガジェット趣味。

私はただ、何気ない瞬間をおさめたいだけなので違和感を抱きました。

求めているのはこういうのじゃないんだよなあと。

 

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トイカメラ

なんでそこにたどり着いたか覚えていないけれど。

トイカメラに興味がわきました。

ミニマルな作りで、最低限の機能にお茶目な写真。

kinarino.

機能と手軽さのバランスなどを考えて、デジタルハリネズミを撰びました。

初代デジタルハリネズミリボーンのチノンver.。

初代はシリーズの中でもレトロでノスタルジックな写りが特徴みたいです。

モニターがついているので使い勝手もよく、動画撮影もできます。

動画撮影は初代のみ、音声機能なしです。

通常ノーマル撮影のみですが、リボーンでは十種類から撰べます。

 

一番最新のモデルではUSBで充電やデータ転送が可能です。

でも、高いし機械感がちょっと...。

確かに、撰んだモデルではMicroSDカードの抜き差しが多少面倒で、

CR2という一般的でない電池を使用しなければなりません。

でも、その不便さとシンプルな機構ゆえの安心感がいいです。

だって、USB充電のバッテリー式はバッテリーの寿命で動かなくなります。

電池式なら電池を入れ替えればずっと使えます。

 

ちなみに、最新モデルでは動画のフレームレートが三種類から撰べて、

多重露光という複数の画像を重ねて撮影できる機能があるのがいい。

その他にも機能充実→DIGITAL HARINEZUMI 4.0

 

低スペックだからこそ

もちろん、デジタル一眼レフカメラと比べればクオリティは劣ります。

その分、手軽で気軽に撮影ができます。

キーになるのは着眼点や構図です。

ブレたってそれが味になります。

少しずつデジタルハリネズミを活かした写真を撮っていきたいな。

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洗濯のすゝめ

洗濯はお好きですか?

人それぞれやり方があったりしますよね。

衣類のタグを見てみると蛍光増白剤がだめ、弱流指定、

日陰で干さないとだめ、濡れたまま放置したらだめなどのものが多い。

でも、洗剤にしても干場にしてもなかなかそうはいかないものばかり。

毎日の洗濯が衣類をだめにしている現状です。

 

洗濯機問題

洗濯槽のカビ。

衣類のからまり。

綺麗に畳んでサイズを合わさないといけない洗濯ネット。

洗濯機での洗濯って簡単そうで実は難しい。

それに、衣類を結構痛めてしまいます。

 

 洗濯機は必要不可欠なのか

昔は洗濯機なんてもちろんないわけで。

たらいと洗濯板、なんなら川で洗濯板?

質素な生活では洗うものも少なかったでしょう。

 

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洗濯機は簡単にまとめ洗いができるもの。

私は洗濯物が少ないので洗濯機でなくても大丈夫。

 

たらいと洗濯板

これです。

お湯をためて踏み洗い、よくすすぐ。

衣類も痛みません。

面倒なときは洗濯機も使いますが、洗剤は使いません。

だって、昔はそんなものなかったでしょう?

洗剤を使った衣類は、洗剤を使わないと綺麗になりません。

洗剤と洗濯機でまっさら綺麗なんてありませんし、洗剤も残って影響があります。

加工品を食べたり使用しなければあまり汚れません。

落ちやすい汚れと言えばいいのかな?

ちなみに、タオルは水洗いでかぴかぴになっていきます。

洗剤を使わず、ふりさばきをしっかり行えばふわふわに仕上がります。

 

脱水について

手洗いでの脱水は一番の課題。

強く手絞りしたらやはり痛む。

洗濯機や脱水器でもやはり痛む、し使いたくない。

一番簡単でおすすめなのがバスタオルです。

軽く絞った衣類をバスタオルで包んで踏み踏み。

バスタオルに水分が移って脱水完了です。

 

機械まかせで満足しない

洗濯機に入れた、洗剤を入れたで実際どうなのか考えず満足できるのでしょうか。

洗濯ネットによく考えもせず詰め込んだら、まともに洗えないどころか濡れもしません。

洗濯機と洗剤で綺麗になるならクリーニング屋も新商品も必要ありません。

生活習慣がために洗濯機と洗剤を使った方がいい人もいるとは思いますが、

本当に必要かどうか考えてみるべきだと思います。

そう教わったから、それが常識だからというのは洗脳となんら変わりません。

自分で確かめて、自分で判断して、自分に必要な分だけ利用する。

ひとつ考えるものが減るだけで気楽になれます。

 

いろんな民間療法

私は昔から身体が弱かったり、皮膚が弱かったりしていろんなトラブルがありました。

まあ、口内炎だとか霜焼けだとか、水ぶくれのことですが。

数週間で治るからと我慢しても、またできる。

そこで思いた対処法を紹介します。

 

霜焼け

親には冷水と温水に交互につけるといいと言われました。

でも全く治らないし、両手両足や耳など何十個もあって辛い。

ある日、痒すぎて浴槽の中で揉みしだきました。

なんかいい感じ。

毎日毎日、もみしだくと治っていきました。

感激!

 

水ぶくれ

虫にさされるとパンパンに腫れ上がり、その後水ぶくれに。

痛痒いし、そういうときほどなにかが当たってくる。

そこで、火であぶった針を突き刺して汁を絞り出す。

あまりいい方法ではないですが、痛さはなくなります。

汁が出なくなれば勝利。

問題は絆創膏に肌が負けてしまうこと。

包帯ぐるぐる巻きで乗り切ろう。

 

いぼ

指にしこりがあるなと思っていたらいぼに。

徐々に大きく成長して痛さを伴うのでネットで検索。

どうやら消しゴムを押し当てると治るらしい。

その方法は就寝時、小さくカットした消しゴムを患部に固定する。

数週間で赤黒く変色し、かさぶたのようになってとれました。

 

口内炎

梅干しだとか蜂蜜が有名ですよね。

 

これは、食生活の改善で発症しなくなりました。

 

いろいろやっているので一概には言えませんが、

冷え性が改善されたので霜焼けにもなりません。

土踏まずやふくらはぎがつらなくなった。

定期的に痛んでいた心臓が今は平気。

普通の人が目眩を起こすタイミングで、視界が真っ暗になり頭が激しく揺れていた症状がなくなった。

頭だけが前後に揺さぶられる感じで...、あれはなんだったのか。

昔は年がら年中酷かった花粉症もなし。

少し前にできた足のいぼも勝手にぽろり。

五秒と開けていられなかったドライアイ、

夜も眠れないほど痒かった乾燥肌も改善。

それに伴い、トラブルの多かった頭皮も改善されました。

 

シャンプー、ボディーソープ、歯磨き粉など未使用。

汗拭きシートなども皮膚に人工物を塗りたくる行為が気持ち悪くて無理。

暮らしの中で、人工物に触れるのは洗濯と皿洗いとトイレ掃除と食事のときぐらい。

家での皿洗いなら洗剤なしで、手で洗うかアクリルたわし。

洗濯で洗剤を使わないことすらあります。

そういった人工物が汚れとなり、アレルギー反応を引き起こす。

 

今後の展開

昔はすごく蚊に刺されていましたが、この暮らしにしてからはあまり刺されなくなりました。

このまま続けて、虫に刺されない人になる。

ストレッチやらでO脚を治す。

柔軟性をさらにあげる。

冷水シャワーを習慣化する。

 

もう民間療法関係ないな。

まあ、それぐらいに健康で快適な生活です。

こんなに楽なんだから、幼少や学生時代の自分に教えてやりたい。

夏の友だち

扇風機。

エアコンはまったく使いません。

暑ければ汗を乾かせば体温下がるし、

気持ち悪ければ濡らした手ぬぐいで拭います。

まあ、扇風機より自然の風のほうが気持ちいいけど。

屋外なら木陰に入れば快適快適。

仮に、停電になったとしても私の暮らしには大した影響がありません。

 

部屋での時間を快適にするために

部屋が和室なんですが、床に座る生活は部屋が散らかりやすく思います。

身体に負担もかかるし、寝転んでしまうとなにもできない。

なので椅子を購入しました。

www.nychairx.jp

NY近代美術館に永久登録されている日本が誇る椅子。

ロッキングタイプを購入しました。

本当はオットマンもほしかったのですが、

二万近くもするので今回は見送ることに。

 

なにかの本に書いてありましたが、

「他のものを犠牲にしてまでもほしいものが本当にほしいもの」

「机は布を掛けてしまえば同じだけど、椅子は自分の身体を預けるもの。」

という言葉をもとに妥協せずに撰びました。

 

朝の作業を終えたらゆらゆらしながら読書やらネットやら。

 

今年の夏

感覚的にはまだ初夏なのに、もう夏は終わってしますみたいですね。

ひぐらしの鳴き声をよく聞く、趣ある夏でした。

少し肌寒い日まであります。

体温に近いお水をこまめにとって身体を労りましょう。

ふんどしのすゝめ

持ちものを減らした場合、

残るものの大半は衣類でしょうか。

特に、下着など肌に直接触れるものはいっぱい。

汚れやすいし、毎日着用するし、痛みやすい。

なんとか減らせないものかと考えました。

 

メリノウール

メリノウールとは

メリノ種という羊の毛。

高山に住むもこもこの子たちです。

天然の高機能素材で、防汚、防臭、ちくちくしない、

静電気がおきにくい、保温性はもちろん吸湿性がよく夏でもさらっと。

使用感

厚さや品質、割合でも変わりますが暑すぎず寒すぎず、

一年中丁度いい、快適な状態を維持してくれます。

縮んでしまうとなおらないので、洗う場合は細心の注意が必要になります。

虫食いにも注意。

 メリノウールでのおすすめ

とても高いです。

その分、すーっごく気持ちよく快適です。

中でも、スマートウールというブランドがおすすめです。

厚さは三種類。

売り切れも多く、好みのサイズ、色、デザインなど見つけるのは難しいかも。

半袖、タイツ、靴下、パーカー、カーディガン、マフラーなど種類も豊富。

メリノウールのパンツ

パンツに関しては素材の問題でゆったりしたものが多いです。 

化学繊維の割合を増やせばフィット感も増しますが、

それじゃあ本末転倒。

 

ふんどし

次に注目したのがふんどし。

古くから日本人に愛用され、最近再注目されているとか。

以前から関心があったので導入してみました。

種類

ふんどしにはいくつか種類があります。

使用するなら以下のふたつがおすすめです。

越中ふんどし

一般的に想像されるものだと思います。

長い布と紐という構造。

シンプルで使いやすいです。

もっこふんどし

パンツに近い形状で違和感なく着用できます。

細めのボトムでもシルエットを崩さず使いやすいかも。

考えた結果

もっこふんどしはサイズ撰びが難しそうだったので、

シンプルでサイズを撰ばない越中ふんどしを購入しました。

 

恥ずかしいもの?

ふんどしは下着ではありますが、火消しや商人などふんどし一丁は普通でした。

もちろん、役割や目的に合わせた種類がありますが、

ふんどしは下着であり、服でもあったんです。

では、なぜ現代のような扱いになったのか。

それは、GHQがふんどしをよしとしなかったとされています。

ふんどしに取って代わって西洋的な下着が普及し、

ふんどし=恥ずかしいという価値観ができあがっていきました。

 

ふんどしの利点

天然素材で肌に優しい。

ゴムによる締め付けがない。

通気性がよく蒸れにくく、清潔。

実は保温性もいい。

 

むくみ、冷え性、腰痛、肩こり、疲労感、便秘、下痢などに改善効果がある。

血やリンパの流れもスムーズになるので、

女性の場合、生理不順にも効果あり。

 

履き心地がよく、締め付けのストレスやかぶれもなく快適。

リラックスできるので安眠効果もあります。

最初は就寝時のみ着用してみるのもおすすめです。

 

ふんどしの使い勝手 

私は越中ふんどしのダブルガーゼ素材を二枚購入しました。

毎日、入浴のときに手洗いしています。

二枚だけで問題なくまわせています。

ゴムを使用していないので、痛みも気にしなくていいのが気楽です。

トイレでは紐をほどかないまま、布を背中から肩にかける方法、

後からまわして足の上で押さえる方法などが紹介されています。

私は布を少しゆるめてずらすことが多いです。

もっこふんどしなら通常の下着のようにずらせますね。

 

越中ふんどしのよさ

シンプル。

ミニマム。

手ぬぐい同様、がしがし洗って干す。

吊るしておけば、簡単に乾く。

いざというときはタオル代わりになる。

着用前のものをかばんなどに結んでいてもそれが下着とはわかりません。

でも、速乾性や機能性の観点から麻素材にしたいなあと考え中。

麻、大好きです。

高価な買いもの

私が会社で働いていたころは年収400万円ほど。

今の私は300万円ほどで時間を買っているようなものです。

 

公私混同

休日は仕事に備えて心身を休める。

普段できない家事を休日にする。

2連休も出勤日の起床時間を考えて、それに合わせて行動する。

通常の休暇や有給休暇は会社からいただいたものと考える。

このように、プライベートが仕事に侵されている人がたくさんいます。

人生の時間の一部を会社に提供しているだけで、仕事主体で生きているわけではありません。

 

時間を買ったら

今は週3〜4日、掛け持ちで働いています。

私は頑張ってしまう癖がありますが2日だけのアルバイトなら頑張りようがありません。

気楽に働いています。

基本的に残業もありません。

好きな時に寝て、好きな時に起きて、毎日気ままに過ごしています。

明日の仕事がとか、何時までにとか考えなくて済みます。

仕事の時間以外は自分の時間が完全に守られているのです。

過去や未来にとらわれず、「今」に意識を集中して生きています。

 

 人それぞれ

価値観や幸せ、お金、時間が人によって違うのなら、

私にとって不必要なお金や労働が必要な誰かのものになります。

だから、こんな暮らしでも誰に怒られることもありません。

限られた時間だけの募集もあります。

 

人間の価値

内定がもらえない、仕事ができない、人間関係がうまくいかない、

病気になってしまった、会社から逃げてしまった。

だからなんだって言うんでしょうか。

ひとつの社会の在り方と合わなかっただけです。

言語もなかった時代に会社なんてありませんでした。

それでも、みんな生きてきたんです。

ただそれだけのことで、人間の価値は決まりません。

辛いなら逃げてもいいんです。

常識が自分に合わないなら、自分に丁度いい暮らしを見つければいいんです。

なんだかんだ生きられるように社会はできています。

別に、海外でも無人島でも構いません。

会社や国は個人の命の保証までしてくれませんから、

自分で自分を大切にすればいいんです。

 

好きなだけ眠り、食べたいときは少しだけ食べ、少しばかり働き、

好きなことをして過ごす。

ねこみたいな気ままな暮らしをしている私みたいなのもいるのです。

本との付き合い方

私の姉はいわゆる本の虫で、本に埋もれてしまうほどの読書家でした。

姉が家を出て行く時にいくつか本を譲り受けました。

でも、私は読書していると肩がうずうず。

最初は無理して読んでいました。

 

とある本との出合い

文芸漫談 笑うブンガク入門 (集英社文芸単行本)

記憶が曖昧なのですが...

おそらくこの本だったと思います。

姉から譲り受けた本の中にありました。

いい小説は何気なく手に取って、何気なく開いたページの目についた一文だけでも面白い。

といった内容が書かれていたと思います。

 

内容を理解しないと!と重箱のすみをつつくように、力んで読んでいた私。

そっか。

読みたい時に読みたいだけ読めばいいんだと思えました。

 

本の味

私は映画も好きです。

でも、テレビと同じで映画はその時間そこに縛られてしまいます。

本なら気軽に読めます。

疲れたら閉じてもいい。

読み返すのも自由。

内容を理解しなくてもいい。

中断もしおりをはさむだけ。

知らない世界の疑似体験。

創造力と想像力が磨かれます。

語彙も増えますね。

映像がないので、言葉の美しさやストーリー構築が際立つ。

映像表現は見るだけですが、文章なら映像は個人次第です。

読み手に合わせた美しい世界が無限にひろがります。

 

図書館

私は基本的に図書館で借りています。

図書館は税金で運営されています。

無料のサービスではありません。

一定額以上稼いでいる人は基本的に納税をしていますので、利用しましょう。

国が払わなくてもいいと言っているんですから、納税義務のない人も利用しましょう。

 

結構新しい話題の本なども置かれています。

本を買わないと著者や出版社にお金が入りません。

でも、立ち読みや古本屋さんでの売買、回し読みは直接の利益になりません。

それなら、私は全国の図書館が購入することによる利益を尊重します。

 

本を買う

何回も読みたい本。

自分に必要な本 。

本によって知識や芸術をとどけてくれた著者にお金を払いたい。

こういった時には本を買います。

ちなみに、私は活字派です。

電子書籍は収納スペースもいらない、持ち運びも便利。

でも、私は紙がいい。

インクや紙のにおい。

色あせた古本。

本としての気軽さ。

やっぱり、不便さが気持ちいい。

時間はつくるもの

仕事と睡眠で毎日が過ぎていく。

そんな繰り返しに抗おうと、睡眠の質をよくして睡眠時間を短くしてみたり。

「時間の増やし方」と検索してみると”時間はつくるもの、時間がないは言い訳”とありました。

当初、食事の影響で疲労がひどく、家事すらまともにできていませんでした。

以下は私がやってみた時間の作り方です。

 

食習慣

k428.hatenablog.com

 

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食事の回数や量を減らせば、単純に準備や食事、後片付けの時間が減ります。

それに加えて、心身が元気になって活動的になれます。

 

テレビ

家にいる間はとりあえずテレビをつけるという方も多いんじゃないでしょうか。

昔の私もそうでした。

テレビは情報操作で民衆を煽動します。

嘘でもそれらしく組み立てればよいと考えているんです。

都合の悪い部分は隠したり、別の情報でごまかしたり。

身体に悪いものを正当化、これを知らないと遅れているなど好き放題。

都合のいい消費者に仕立て上げる機械。

 

それはさておき。

テレビ番組は30分から1時間を基本構成とし、オチをCMのあとに持ってくるなど創意工夫がなされています。

一度テレビをつけてしまうと、放送時間を主体とした活動になってしまいます。

家事も読書も、なにをするにしてもテレビを見ながら。

ながら作業なので、注意力が散漫になり時間もかかります。

ドラマを見ればCMの間にトイレへ。

朝の眠さを理由になにもせずぼーっとニュースを見る。

お風呂に入ったり、寝るのは番組が終わってから。

テレビをただ眺めている時間がどれだけ無駄になっているのか。

 

テレビをやめたら

テレビは思い立った日にすっぱり見るのをやめました。

自分の時間を奪われて、価値観を押し付けられていることが許せなかったからです。

すると、時間の流れ方が変わりました。

テレビを見ているだけならあっという間に30分は過ぎてしまっていた時間。

自分の中で一分一秒が刻まれて、ゆっくりと時間が流れます。

食事改善によって増えた時間は、テレビをやめることによって何倍にも膨らみました。

今では、テレビを見たいとも思わないし、知らなくてもいいことは知らなくていいと思えます。

自分の暮らしと今に集中して生きていけるのです。

 

インターネットについて

テレビは時間が決まっていますが、ネットサーフィンはだらだらと時間を浪費します。

みんな小さなPCを持ち歩くようになり、いつでもどこでもネット閲覧やゲーム。

私はそれに馴染めず、ガラケーを所持しています。

Wi-Fiも本当は解約する予定でしたがブログを始めようと思ったので継続中。

ちなみに、ネット環境なしでも昔は普通でしたし、どうしても調べたいものがあるなら図書館のPCで調べればいいと思っています。

ブログを書いている人間の言葉とは思えませんね。

 

今現在 

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週3〜4のアルバイトに切り替えて日々のんびりです。

お金をかけての贅沢はあまりできません。

その代わりに、時間をたっぷりかけて贅沢ができます。

はぁ幸せ。悠々自適です。

旅のしかた

 

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初体験を楽しむために

写真を撮ったり、ものを買うよりも五感をフル活用して記憶しましょう。

ありがたいことに記憶は美化されます。

より美しくなった記憶を思い出すと、幸せに満たされます。

そして、毎日初体験を重ねていくのです。

写真やものは人と共有するのには役立ちますが、言葉で共有することもできます。

目に見えるものは限定的で有限ですが、見えないものは無限に広がります。

 

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心持ち

旅行の予定をぱんぱんに詰め込むと、移動時間にも制約がつきます。

常に時間を気にして、次のこと次のことと意識が「今」に集中できません。

少しでも予定通りに進まないと、不平不満が出ます。

あとに残るのは疲れと片付けです。

非日常を味わう旅なら、穏やかに過ごしたいものです。

例えば、旅の道中を楽しむ、旅先でのんびり過ごす、一日かけてひとつのことをする。

ハプニングや変更があればそれも楽しむ。

不平不満もなく、さまざまな初体験が待っています。

そうすると、意識は「今」に集中します。

流れに身を任せてみると、いいことがありますよ。

 

子ども時代の旅行

思えば、私の子どもの頃の旅行はキャンプでした。

川や湖などに行き、バーベキューをしたり、カヌーに乗ったり。

数日の間、ゆったりまったり家族で過ごす。

余裕をもってなにも決めずに、なんでも受け入れて楽しむ。

 

贅沢な旅

私は普段、読書したり、ヨガしたり。

理想の旅は、普段通り読書やヨガを楽しんだり、なにもせず「無為」を楽しむ。

私はしたことありませんが、夏にクーラーをかけて、毛布にくるまりながらアイスを食べるような贅沢。

旅にもゆとりを。

 

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享楽体験、恐怖心と興味ほか

美味しかったあれをもう一度食べたい!

念願かなって食べてみると、あれ?こんな感じだっけ?ということばかり。

記憶は美化されてしまうものとなのかな。

このことについて...

 

ヨーガの樹

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五つの知覚器官は、味、音、触、視、香と接触し、心にその印象を送り、これらは心を通して、記憶の源に蓄えられる。

記憶はさらなる体験を求めて、心を駆り立てる。

心は知性を飛び越えて、行動器官を直接刺激すると、この器官がこれらの体験を求め続ける。

このプロセスの間、知性は、記憶、心、そして知覚器官の均衡を保つように、優劣を測ろうとする。

だが、それらは賢明な知性のアドバイスを聞くこともなく、過去の享楽体験のために、さらに渇望する。

このようにして、欲望と要求は増大する。

欲望は心をさらなる享受へと誘い、このような反復する享受を通して、行動器官はその潜在力を失い、もはや知覚器官や心を刺激できなくなる。

過去の印象を求め続けるが満足を得ることができず、これが不幸の種を生む。

出典元:ヨーガの樹

 

薬物依存の経過にも似ていると思う。

慣れ、耐性と相反し、欲求はふくらみ続ける。

私からすると、食事や仕事、社会的地位、もの、お金、ハイテク機器なども同じです。

 

知らないという恐怖

生活のほとんどは繰り返し。

はじめは寝心地のよさに感動したベッドでも、毎日寝ているとなにも思わなくなる。

それは、ある意味で安心感を生むのかもしれません。

知らないことは怖い。知らない人は怖い。

恐怖心は未知のものを否定し、自己防衛をはかります。

それの最たるものが戦争です。

知らない相手はどうなっても構わない。

自分が助かれば、自分が儲かればそれでいい。

 

自他同然

秋山佳胤さんが不食という生き方で、自他同然とおっしゃっていました。

すべては繋がっている。

憎しみは憎しみを、慈しみは慈しみを生む。

人への態度は自分に返ってきます。

未知の存在を受け入れ、肯定して共生する。

それが、大切です。

 

幸福の種

初めての体験こそが最高の享楽体験です。

なにごとも挑戦し、経験してみる。

今日は、近所の七夕祭りに友人が遊びに来てくれました。

そのあとは喫茶店で一息。

行きつけのお店でなく、初めてのお店へ。

http://www.amber-space.jp/

新しい発見、新しい悦び、友人とのひと時。

幸せです。

次の機会では別のメニューを頼んだり、ワークショップに参加してみたり。

 

七夕のお願い

不食実現、資産の完成

資産とは身体のことです。

身体は資産、健康が財産。

ひらひら落ちていくみんなの短冊。

拾い集めて私の短冊にしっかり結びました。

自他同然。

人の幸せが私の幸せ。

みんなのお願いが叶いますように。

昔から思ってたこと

昔、虫刺されをかいて気持ちいいと言ってる人がいました。

気持ちいいのか?

私の考えでは、痒くないことが気持ちいい。

涼しいや暖かいよりも、暑くないや寒くないが気持ちいい。

満腹よりも無の状態が気持ちいい。

身体の感覚がなくなり、五感が刺激から解放され、思考が存在を失う瞬間。

最高に気持ちいい。

なにも感じないけど気持ちいい。

 

無為

無人島、不食130日

山田 鷹夫 三五館 2014-10-22
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by ヨメレバ


不食の山田鷹夫さんも、無為について書かれていました。

現代人は「何もしない」ということを恐れを抱いている。

現代人は「する」ということに追い立てられている。

(中略)

予定で埋まらないと現代人は安心できない。

予定に空きができるとあわてて何かで埋めようとする。

なぜ予定で埋めなければならないのか?

それは突き詰めれば今が”カラっぽ”だからだ。

頭は無為を恐れる。頭は何もしないということに耐えられない。

何もしないでいることに不安感を覚えるのは、身体ではない。 

出典元:無人島、不食130日

無人島では何もしない。何もない。

けれど満たされている。

何もしなくても幸福でいられることを身体が知っているからだ。

ただここにいるだけで幸せなのだから、ほかのものはいらない。

それに人は気がついていないから、 詰め込む。

詰め込めば何もないという虚無から逃れられると思っている。

すでに幸せであればそこにさらに何かを詰め込む必要はない。

ただ立ち止まって幸せを感じていればそれだけでいい。

出典元:無人島、不食130日

 無為とはすなわち、過去でも未来でもなく今を感じることだと思います。

なにも持たなくても、なにも食べなくても、何かに依存しなくても。

自分の身体があり、魂がある。

それがどれだけ素晴らしくて、幸せなことか。

気が付いた人だけのひと時です。

 

もうひとつの本

ヨガを学びたいと思ってヨーガの樹という本を購入しました。

無為をはじめとした、私が昔から抱いていた違和感や思考がそこには書かれていました。

私の信念や今の暮らしの裏打ちになりました。

私は私の人生を生きよう。

毎日幸せです。

旅行しながら気付いたこと

私は小さな頃から写真を撮ることが好きでした。

社会人になり賞与で買ったデジタル一眼レフ

日常の何気ない瞬間を撮影するのがたまらない。

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旅先でよく水族館へ行きます。

一番の目的はイルカショー。

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ふと気付いた

私が見ているものはレンズなんだと。

カメラを覗き込んでばかりで、一緒に行っている人と時間を共有できていませんでした。

 

記録よりも

私は写真を撮るために旅行しているんじゃない!

ということでカメラを持ち歩くことをやめました。

純粋に楽しんで、記憶することにしたのです。

わざわざアルバムにしてもしまい込むだけ。

それに、写真なら自分よりも上手に撮ってくれる人はたくさんいます。 

そうして私はカメラを手放しました。

大きなカメラを持ち歩いたり、メンテナンスする煩わしさから解放されました。

毎日をしっかり実感しながら生きています。

 

カメラがあればブログが捗りそうですが、残念ながら今はガラケーiPod touchしかありません。

ミニマムな1台をそのうち手に入れましょうか。